私吉田は、昨年まで次郎系ラーメンを食べたことがなかったのです。
大塚愛の「ラーメン3分クッキング」にも出てこないこのラーメンですから、そんなラーメン知らないという人も多いでしょう。次郎系ラーメンというのは量が多くて味が濃くて、いかにも大学生好みと見えるラーメンです。健康に悪かろうことは言うまでもないでしょう。
この次郎系ラーメンというやつを、私は食べた事もなければ嗅いだこともなく。ただ折に触れて語られる、男達の輝ける伝説と敗北の悲劇のみを通じて知るばかりでした。この3Lの界隈でも然り。誰がどれだけを食べきったかというのはこの社会においてはある種のステータスであるようです。200gを頼めば男が廃り、300gを残せば軟弱の証、食べきった重さが名誉の重さという風に。そもそもラーメンの量は不可算名詞として1杯2杯と数えていたもので、重さで量るという未知との遭遇には(読者諸賢もそうであろうと思うが)いささか困惑せざるを得ません。しかし誰もが名誉を懸けて、人生の内の幾らかをこの麺を啜ることに投じるのです。
さて、「昨年まで」と敢えて書いたのは、察するように今年食べる機会があったからです。
その日は木曜日で、寒い日でした。バイトを終えて家に帰り、夕飯の支度をしました。金曜日からしばらく家を空ける予定でしたが、冷蔵庫には鮭が2切れ。それというのも、前日と前々日は外で夕飯を食べて、せっかく買っておいた鮭を食べることが出来無かったのです。ですから私は鮭を両方とも焼いて、ご飯を炊いて、味噌汁を用意して、サラダ(これも山盛り)を皿に盛って、これをこの日の夕飯としました。寒い日には味噌汁が腹に沁みます。鮭もずいぶん美味しくて、2切れ残っていた幸運に感謝しました。風呂は既に済ませてあったので、丁度良く出てきた眠気の心地よさの中で日記を書いていました。
ラーメンは一本の電話からでした。入居生の伊藤さんからの電話です。時に22時41分。
「地球規模行くけど」
という言葉はこの1人静かな夜を崩壊せしめるに十分なものでした。
地球規模と言えば、幾多の男達をそのカウンターに沈め、伏見における次郎系の代表として君臨すると伝わる名高いラーメン屋です。私にとっては、これまで出来うる限り避けに避けてきた未開の地です。開けぬに越したことはありません。パンドラよろしく、伏魔殿よろしく、あるいは鶴の恩返しよろしく。
とはいえ、春からの観察によれば、この次郎系ラーメンにまつわる事全て、言わば名誉の戦いとしての性質を色濃く帯びているのです。次のリーダーとして、ここで引き下がることが出来ましょうや。例えすでに夕飯を済ませているとは言え、退くことが許されましょうや。
さて、そのようにして食べたラーメンは、思いの外美味しかったです。男達が汗を流しながら、苦痛に顔を歪めながら、それでもやせ我慢して食べる類いの麺だと思っていたことを反省せねばなりません。パンドラの箱に最後に残った希望というやつでしょうか。とはいえ旨ければ旨いで食欲と脂身の不健康との葛藤にさいなまれるのです。大部分はやはり絶望が詰まっていたと言えるでしょう。
かくしてとうとう私もこの終わりのない次郎系ラーメンにまつわる名誉の戦いの渦中なのです。
この文章の3つ目の段落は全く異物といって差し支えなく、取り除いてしまった方が良い文章に違いありません。入れざるを得なかったのは、我々が次郎系ラーメンについて語るとき、それは常に名誉に関わることであるからです。
「夕食後の地球規模」という物語は果たしていかほどの武勲になりますでしょうか。